ていねブログのイネ子です(^^)/
札幌市手稲区の【稲穂金山(いなほかなやま)地区】の歴史や主な施設等について調べてみました(^^)/
稲穂金山地区は「稲穂」地域と「金山」地域で形成されています(^^)/
【稲穂金山地区】のあゆみ
稲穂
稲穂は、明治4年ごろ最初の開拓使が入植したのが始まりです。開拓当時は、うっそうとした原始林が広がっていました。
手稲北部一帯は泥炭湿地の不毛地帯でしたが、稲穂だけは稲作が可能な地でした。それでも、手稲山から急勾配で流れる河川の犠牲となり、一夜で泥田と化したこともありました。
大正から昭和14、15年ごろまでは、星置地区とともに大根の産地として知られました。
もともと星置の一部であったこの地は、稲の穂がたわわに実ることを夢見て、開墾に全力を傾けた先祖の苦労をしのんで稲穂と名付けられました。
現在は宅地化が進み住宅街が広がる中、稲穂ひだまり公園には市内でも珍しくカタクリが群生しており、4月下旬から5月上旬には薄紫から桃色のかれんな花を咲かせ、訪れる人の目を楽しませています。
カタクリの群生、知りませんでした!こんど見に行ってみようっと♪
「稲穂」というのは先祖の苦労をしのんでつけられた名前だったんですね。現在は宅地化が進んでいますが、稲作が行われていた地域だったんですね。
金山
金山は、「手稲鉱山」の繁栄とともに築かれたまちです。この地は、もともと星置の一部でしたが、星置川で砂金が見つかったことなどから、金の山、きんざんと呼ばれるようになり、昭和17年の字名改正の時に正式に金山(かなやま)と名付けられました。
手稲鉱山は、明治24年に鳥谷部弥平治(とりやべやへいじ)が偶然金鉱を発見し、昭和10年、三菱鉱業が本格的に金の採取を開始。
最盛期には、東洋一の選鉱場、鉱山ケーブル、滝の沢温泉(現在のイムス札幌内科リハビリテーション病院付近)、星置小学校(現在の手稲西小学校)、劇場などがあり、人口は8,000人以上も居たといわれ、そのにぎわいは鉱山が経営を縮小する昭和20年ごろまで続きました。
現在金山は、手稲山山麓の自然豊かな環境に恵まれた住宅地に変貌しましたが、手稲鉱山の歴史は、手稲西小学校の「鉱山の部屋」や星置川沿いの鉱道の入口跡、住宅の土台などで知ることができます。
手稲で砂金が見つかった過去を手稲のことを調べるまで知りませんでした(゜o゜)
手稲西小学校の「鉱山の部屋」などを通して地元の子どもたちは手稲鉱山の歴史を学ぶのでしょうか。自分が暮らしている地域のことを知るのは土地に愛着を持つこともできてとてもいい活動ですよね。
手稲鉱山についてもう少し調べてみました↓
【稲穂金山地区】の施設
稲穂金山地区の主な施設をピックアップしてみました。
※住宅街が多い地域ですね。
北海道立子ども総合医療・療育センター(こどもっくる)
手稲鉱山跡地
(手稲区役所のHPで過去の手稲鉱山の跡地の見学ツアー(2016年)の記載がありました。(→手稲鉱山跡の見学ツアーが開催されました/札幌市手稲区)
次回開催されることがあったらぜひ参加したいです。
【手稲区】の地区の構成
今回は手稲区の【稲穂金山地区】について調べてみました。
手稲区は手稲地区、手稲鉄北地区、前田地区、新発寒地区、富丘西宮の沢地区、稲穂金山地区、星置地区の7つの地区で構成されています。手稲区の地区別マップを作成してみましたのでぜひご覧くださいませ→
最後までご覧いただきありがとうございました(^^)/